難しさ
昨夜日本人2人のフラットメイトと国葬の話からの流れで特権の話になって、すごく難しかった。特権がどんなものかを説明して、それは理解したけどどう使うかは自由だし押し付けられるものじゃない、というところでどう話をしたらいいか全くわからなくなった。
序盤から意地悪なことを言われていたので、我慢できずリスペクトのない言葉を言ってしまいすごく謝ったのだけど、よくよく考えたら自分も失礼なこと言われてたわけなので、すぐ謝るの辞めたい。
早起きして学校来れてよかった。
東京いるときも主にフェミニズムの話する時、どんなに頭が良くてたくさん本を読んでいる人でも、特権〜特権の行使の仕方で全く感覚を共有できないことで驚くことたまにある。自分の持つパワーは良い方に使えたらいいよねという話をしてるんだけど、押し付けられているようで不快を感じるみたいで、良さの定義とかの話になってしまった。善でいること、善でいろと強制されているようで居心地悪い感覚はよくわかるけど、これについては良し悪しや正義感の問題じゃないと思うんだけど。全ての項目や全てのタイミングで善い人であれ!常に良い活動をしろという意味では全くないのに、そう言われてるような感覚になってしまうのかな。
ロンドンでスーツケース2つ持って駅の階段にいると、今のところいつも、常に通りがかった男性が当然のように運んでくれた。なんかそれは親切さとはまた違うところにあるんじゃないかなと感じる、マナー(この言葉は考える必要あるけど)の一つみたいな。そういう風に考えられたら楽だしいいのに。
自分一人の力で頑張ってきたという自負のある賢い感じの人と、いつもぶつかる。社会構造の中で恩恵受けてる立場にいると理解できていないということだと思うんだけど、それを責めるニュアンスゼロで伝える技術があれば誰か教えてほしい。
自分はたまたま理解できる環境にいて一緒に勉強できるコミュニティもあるから非常に恵まれてるということは認識していて、違う選択をしてる人にこういう視点もあると紹介するのは難しいとわかってるけど、せっかく触れづらいテーマについて話ができているなら自分はこう思ってるよということは伝えるようにしている。
中立でいたい人に思想強いとか洗脳とか言われるとまあまあダメージあるけど、その中立は中立になってないよとはできる限り伝えたいし、マジョリティの世話はマジョリティで見るんだよと教えてくれたあさみ氏の顔を思い出す。
自分の話の組み立ては圧倒的に下手だが自分のことは馬鹿だと絶対に思いたくない。ただ話す前にゴールを設けるのを忘れていたので悲しい感じになってしまった。
ずっと日本語で話していて落ち込んできた、先生も苦手な先生になってしまったから来週からクラスを変えてもらう。
切り替えて本日はおいしいケバブ見つけたい!
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